1989年11月9日夜、東ベルリンと西ベルリンを隔てていた国境が事実上開いた。翌10日、東ドイツの各地では人民警察の地区窓口に長い列ができた。ベルリンの壁の歴史を記録する「Chronicle of the Wall」は、この日のビザ申請の列を記している。歴史の転換点を映す映像といえば、壁の上に集まる人々や歓声をあげる群衆が思い浮かぶ。けれども自由な移動への入口には、事務所の順番待ちという、ずいぶん地味な光景もあった。

前夜の発表は、旅行規則の変更が直ちに適用されると受け取られた。その知らせに人々は国境検問所へ向かった。一方で、手続きを整えるため地区警察の窓口を訪れる人もいた。歴史資料によると、当局が当初想定した方法とは違い、旅券がなくても身分証明書にビザ印を押す対応が行われた。制度が現実に追いつかず、目の前にいる人にどう応じるかが現場で変わっていったのである。

この列に並ぶ人々を、みな同じ願いの持ち主として描くことはできない。親族を訪ねたい人、初めて西側の街を歩きたい人、出発できるうちに出発したい人。それぞれの気持ちまでは列の記録から確定できない。それでも一つ確かなことがある。昨日まで移動を厳しく制限していた国家で、翌朝には人々が移動のための書類を求めて一斉に並んでいた。

行列は、ときに制度がまだ残っている証拠であり、同時にその制度が変わり始めた証拠にもなる。この日のビザの列は、壁の崩壊という大きな言葉だけでは拾いきれない歴史の速度を示す。世界が一晩で変わっても、窓口には机があり、書類があり、先に来た人がいた。

壁が開いた翌朝、移動の自由はすぐに書類の自由にはならなかった。領事館前の列は、政治的な境界が消えても渡航許可の事務が残ることを示した。