1940年、ナチスの迫害から逃れた難民が集中するマルセイユで、ヴァリアン・フライの救援事務所が朝8時に開くころには、長く蛇行する列が二つの廊下と階段を埋めていた。米国立公文書館の記事は、ミリアム・ダヴェンポートらの回想と資料をもとに、午前中に可能な限り面接し、彼女一人でも毎日約40人を聴取したと記す。事務所は表向き「アメリカ救援センター」として、困窮者への資金提供や査証交渉を助けた。だが必要は人員をはるかに上回り、フライは一日に60人が申請しても質問できるのは40人ほどだとニューヨークへ訴えた。誰を脱出支援の対象にするかという判断は、待っている人の生死に関わり得た。列は効率的な順番整理であると同時に、限られた資金、査証、職員時間が救える人数を決めてしまう境界だった。廊下の長さは、欧州から逃れる道がいかに細かったかを建物の内部に描いていた。