1951年の植民地ゴールドコースト(現在のガーナ)で、選挙は将来の自治をめぐる政治の入口になった。研究論文は、首長が太鼓を鳴らして住民を有権者登録へ呼び、クワメ・ンクルマの運動家も登録と投票方法の説明を助けたと記す。投票日、人々は警察の監視下で投票所に並び、名簿で氏名を確認され、指へインクを塗られた。秘密投票と成人参政権は、英国側には秩序ある権力移譲の証明、民族主義者には平等と政治的成熟の主張、投票者には将来の繁栄を代表者へ求める契約として異なる意味を持った。列は同じ手続きに人々を並べても、参加理由まで一つにしなかった。植民地国家の管理装置が、独立を求める政治参加の通路にもなったところに、この投票列のねじれがある。