ニューヨーク万博のテレビ展示では、見るだけでなく、自分が画面へ映る体験も呼び物になった。1939年、RCA館を通る観客はカメラの前と受像機の前へ順に導かれた。映像は録画して後で見るものではなく、その場の身体が同時に別の場所へ現れる現象だった。人々は「未来を見る」列に並びながら、未来の側から自分を見る体験も待った。
この待機は、映画館の入場列とは違う。映画なら作品はすでに完成し、上映時刻に多数を同時に受け入れられる。初期テレビの実演では、カメラ、照明、受像機、説明の進行が一組の観客ごとに必要だった。技術の新しさだけでなく、実演形式そのものが列を作ったのである。
資料は個々の待ち時間を示さないため、何時間並んだとは言えない。それでも、展示館に絶えず来場者が流れたことと、テレビが大半にとって初見だったことは確認できる。後のテレビは同じ映像を何百万人へ同時配信する。最初期の出会いはその逆で、数人ずつが未来の画面へ入り、自分の番を待つ体験だった。
自分の像が映ることは、完成した番組を見るのとは違う驚きだった。観客は被写体、視聴者、実験参加者を短時間で行き来する。列を進む順序は、誰が次に画面へ入るかという出演順でもあった。放送局が選んだ俳優ではなく、万博へ来た普通の人がテレビの即時性を身体で確かめた。
