2025年4月、スリランカの古都キャンディでは、仏歯舎利の特別公開を前に参拝者が列をつくった。仏陀の歯と伝えられる聖遺物を直接拝礼できる機会は、16年ぶりだった。公開期間は18日から27日までの10日間。列は時間とともに延び、最終日前日の現地報道では、カトゥガストータ方面の列が約5キロに達していた。
この行列は、数歩先へ進むたびに目的のものが見えてくる種類の列ではなかった。寺院の近くに到着するまで長く待ち、拝礼そのものはごく短い。現地紙『Sunday Times』は、聖遺物の前へ進む人が一度に3人ずつに制限され、一瞬の拝礼となる様子を伝えた。列に数時間、あるいはそれ以上を費やしても、待っていた瞬間はほんのわずかだった。
混雑への対応として、警察は列を一時的に離れる人のための通行証や、再合流を管理するステッカーを使った。4月25日には、新たに並ぶ人々の受け入れを止めると発表された。27日付の『The Morning』は、体調を崩して病院へ運ばれた人や死者が出たことも報じている。信仰の深さを称えるだけでは、長い待機が身体にもたらす負担を見落としてしまう。
なぜそこまでして並ぶのか。外から一つの答えを決めることはできない。ただ、たった一瞬しか見られないからこそ、その一瞬が重要だと感じる人もいる。五キロの列を短い『見物』のための非合理な努力とみなすだけでは、そこにある時間の使い方を理解できない。信仰と公共の安全、その両方がこの列にあった。
五キロの車列は、棺へ近づける人数より、同じ方向へ向かった社会の規模を示した。車内からの一瞥は短くても、その数秒を得るため道路全体が待合場所になった。
2025年4月27日の聖歯寺院の開帳最終日を前に、報道は来場者が100万人を超え、なお数千人が列にいると伝えた。信仰の対象を目にする一瞬は、都市が安全、医療、給水まで組み替えるほど大きな待機を生んだ。
