1985年初頭のハルツームでは、パンとガソリンの不足が日常を覆った。『ワシントン・ポスト』は、何を尋ねても「ない」と答える状況を、アラビア語の「マーフィー」にちなみ「『ない』の経済」と表現した。人々は入荷の見込みがあるパン屋や給油所へ向かい、限られた供給を待った。

背景には対外債務、外貨不足、石油製品の不足、干ばつと周辺国からの難民流入が重なっていた。政府は燃料節約と若者の集会防止を兼ねて学校を閉鎖したが、値上げと欠乏への怒りは街頭デモへ変わり、4月の政変へつながった。

当時の資料は不足と抗議を明確に記録する一方、個別店舗の列の長さや待ち時間までは示していない。そのため本文は数字を創作しない。確かなのは、パンと燃料を得る順番が単なる買い物ではなく、国家への信頼を測る時間になったことだ。列の先で商品が尽きれば、「ない」という返答が政治的な意味を持った。

パン屋と給油所は、異なる商品を扱いながら同じ外貨不足へつながっていた。複数の列を一日の中で渡り歩くことが、経済危機を家庭の時間割へ変えた。

品質確認:The Washington Postの1985年2月17日付現地報道は、ハルツームのパンと燃料不足を、実際の購入列とともに記録している。