1973年末から74年にかけて、米国の給油所前にできた車列は、単なる値上がりの光景ではなかった。OPEC加盟国による石油禁輸で供給が不安定になると、営業中のスタンドへ車が集中し、道路まで列が伸びた。スミソニアン国立郵便博物館は、長い給油列が生じ、スタンド自身もガソリンを確保できない場合があったと記録している。燃料を得るために燃料を消費して待つという、車社会特有の逆説が現れた。

混乱を抑えるため、一部の州はナンバープレート末尾の奇数・偶数で購入日を分けた。ニュージャージー州では、日付とプレート番号による規制に加え、タンクが半分以上残っている車への販売を禁じ、在庫状況を旗で知らせる仕組みも設けた。列は先着順だけで動くのではなく、車の番号、日付、残量という条件で入口を絞る配給装置になった。

連邦政府は全国配給に備え、約50億枚のガソリン配給券を印刷した。ところが禁輸は1974年3月に終わり、券は実際には使われなかった。人々が路上で待っていた一方、政府は使われない可能性のある紙の制度を大量に準備していたのである。

この行列が露わにしたのは、車があれば自由に動けるという感覚の条件だった。道路、車、免許を持っていても、給油の順番が回ってこなければ移動は始まらない。ナンバープレートは身元表示から、一時的に「今日は買えるか」を決める札へ変わった。