1937年のバマコで、新しい映画館の大きな門の前に人々が集まり、切符売り場へ入れる時を待っていた。映画史研究者オディル・ゲルグが引く同時代の記録では、待つあいだに会話や叫び声が交わされ、物売りが菓子、たばこ、マッチ、ナツメヤシの実、コーラの実、レモネードを売った。やがて売り手が切符を知らせると、待機の空間は入場手続きへ切り替わった。

映画館の列は、新しい娯楽を待つだけの無邪気な光景ではなかった。植民地都市の館内には料金別の席があり、入口や座席配置はヨーロッパ人、アフリカ人エリート、多数の一般客を分ける社会秩序と結びついていた。シエラレオネのフリータウンにあったエンパイア・シネマでは、扉が開くと観客が良い席へ急いだという。門前で一緒に待っていても、入場後に同じ場所へ進むわけではない。この行列の固有性は、映画という近代的な大衆娯楽が人々を一つの門へ集めながら、植民地社会の区分を館内で再び組み立てた点にある。列は共有された期待の場であると同時に、誰がどこに座れるかを振り分ける装置の入口でもあった。