1965年1月9日のバマコでは、店とパン屋の前に長い列が止まっていた。人々が探していたのは、普段の主食である米や雑穀ではない。米とミレットが2か月以上不足し、代わりになるジャガイモやパンを求めていたのである。AFP電を掲載したル・モンドは、こうした光景を首都の「見慣れない顔」と表現した。しかも代替食品のほうが、欠乏した米や雑穀より高価だった。

不足はバマコだけでなく国内の複数都市に及び、ラマダンを迎えて需要が意識される時期に、いっそう目立つようになった。モディボ・ケイタ大統領は新年演説で供給難に触れ、責任の一部を不正取引業者や密輸業者に帰した。だが、店頭で待つ市民にとって政治的な責任論より先に問題となるのは、いつもの穀物を別の炭水化物で置き換えられるか、そしてその価格を払えるかだった。

この列では、品物が不足しただけでなく、食文化の順序まで一時的に組み替えられた。米と雑穀を食べるための列ではなく、それらがないためにパンとジャガイモを買う列である。代替品が高価だったという記録は、配給量だけでは見えない負担を示す。並べた人だけが食料を得られるのではなく、列の先の価格にも耐えられる人がようやく主食の穴を埋められた。