1990年6月20日の朝、ブカレストでは仕事へ向かう人々が新聞を買う列をつくっていた。大学広場を見下ろす場所から書かれたワシントン・ポストの同時代報告は、前週に鉱山労働者らが反政府運動を暴力的に鎮圧した直後にもかかわらず、街の朝が新聞の順番待ちから始まっていたことを記録する。待たれていたのは紙そのものだけではなく、革命後の政治を読み解くための情報だった。
1989年12月の革命後、共産党体制下の新聞は相次いで名称と編集方針を変えた。旧『スクンテイア』は『アデヴァルル(真実)』となり、『スクンテイア・ティネレトゥルイ』は『ティネレトゥル・リベル(自由な青年)』へ変わった。ブカレスト大学の記録によれば、1990年6月には『アデヴァルル』と『ロムニア・リベラ』がそれぞれ一日約150万部を発行していた。長く統制されてきた言葉に代わり、複数の紙面を読み比べたいという需要が、毎朝の列を支えた。
この列には、革命が終われば情報の自由が自動的に完成するわけではないという現実も映る。大学広場では反政府抗議が続き、新聞社や記者も政治的暴力の対象となった。人々は通勤前の時間を使い、売り切れる前に一部を手に入れようとした。新聞を買う順番は、急速に変わる社会について自分で判断するための入口だった。
