1889年5月、パリ万国博覧会のエッフェル塔は、昇降機がまだ動かない状態で一般公開された。公式サイトによれば、最初の一週間だけで約3万人が1,710段の階段を上った。昇降機が稼働したのは5月26日。博覧会終了までの来場者は約200万人に達した。塔の入口で待っていた人々は、完成した観光名所へ運ばれる客ではなく、新しい鉄の構造物を自分の脚で試す参加者だった。
塔は高さ300メートルという技術の誇示だったが、見物の仕組みは処理能力に縛られた。切符を買い、脚部の入口へ進み、狭い階段または昇降機へ移る。昇降機の導入後も、曲線を描く塔脚に沿う装置は一度に運べる人数が限られ、待機は消えない。技術が高くなるほど、入口の順序管理が重要になるという逆説があった。
最初の週の3万人という数字を一日平均に割るだけでは、この体験は見えない。彼らは展望台の景色だけでなく、上る手段そのものへ並んだ。都市を上から眺める未来的な体験の入口は、地上で切符と自分の番を待つ、きわめて古典的な列だった。
しかも最初の来場者は、昇降機を待てば楽に上れるという選択肢さえ持たなかった。階段を上り切る体力が入場体験の一部だった。5月26日以後は機械が身体の負担を引き受けたが、その代わり、限られた客車が戻るまで地上で待つ時間が生まれた。技術は待ちをなくすのではなく、階段上の労力を入口の順番へ置き換えた。
