1851年、ロンドンのハイド・パークに建てられた水晶宮へ、万国博覧会の観客が押し寄せた。鉄とガラスの巨大建築には各国の工業製品や美術品が集められ、現代の見本市と大衆観光が一体になった。大英図書館が所蔵する同時代の図版集は、入口と館内へ密集しながら秩序立って進む観客を描いている。

博覧会は会期、曜日、入場料によって客層を調整した。高額日のあとに低価格入場日が設けられると、より多くの労働者階級も訪れた。切符の価格は単なる収入源ではなく、一日に来る人数を動かす装置だった。入口では切符を示し、検査を受け、建物の処理能力に合わせて中へ入る。

図版から個々の待ち時間を読み取ることはできない。しかし、ガラスの屋根が大量の観客を包み込む前に、来場者を一人ずつ「入場者」へ変える境界が必要だった。世界中の商品を一つの建物へ集める企画は、人々の好奇心も一か所へ集めた。国際化の壮大な展示は、ハイド・パークの入口で切符を握り、自分の番を待つ小さな動作から始まった。

会期中の入場者は600万人を超えたとされ、鉄道も大量の来場者をハイド・パークへ運んだ。交通が速く人を届けても、入口と館内通路の幅は変わらない。蒸気機関と鉄道が生んだ大量移動は、到着地点で切符検査の順序へ圧縮された。近代的な速度が、最後に人間一人分の幅へ戻る場所だった。