1942年1月、プエルトリコ南西部カボロホの余剰物資事務所で、人々が配給を待って並んだ。米国農業安定局の写真記録は、列が存在したことに加え、その日に配られた品目を「豚脂と穀粉」と特定している。

救済写真では「食料」や「物資」という総称だけが残ることも多い。この資料は、家庭へ持ち帰られる脂質と主食材料を具体的に記した。列の先で受け取るものが分かるため、待機が日々の調理へどうつながったかを読み取れる。一方、目録は人数、待ち時間、一人分の量、受給資格の条件を示さないので、それらは補わない。

余剰物資事務所は、市場で商品を選ぶ売場ではなく、用意された品を順番に受け取る窓口だった。列は不足だけを象徴するのではない。大量に扱われる公的物資が、最後には豚脂と穀粉という単位で各家庭へ渡る、配給工程の末端を記録している。