1980年代初頭のガーナでは、パン、石けん、缶入り牛乳などの日用品が不足した。同時代誌『Africa Report』の1982年5・6月号は、品物が売られるという知らせが広がるたび、アクラの各所に毎日のように列ができたと記している。後年の個人回想も、公営のPDC販売所でトウモロコシ粉のパン、石けん、牛乳を買うために並び、高齢者用の列を別に設けた経験を伝える。
不足は、国の経済統計だけで終わらない。家庭では入荷情報を得ること、売り場へ移動すること、自分の番まで商品が残るかを待つことが必要になった。石けんと牛乳とパンは用途が違う。それでも、手に入る時刻も数量も確かでないため、同じ『列に時間を預ける』品物になった。
高齢者を別の順番で案内したという回想は、列の内部にも暮らしの調整があったことを示す。不足が人を集め、集まった人々がその場で公平さをつくり直す。1980年代初頭アクラの列は、経済危機が毎日の時間割へ変換される場所だった。
